bunty's blog

ググったこととか勉強したことのメモ

「性犯罪被害にあうということ」を読んだ

「 性犯罪被害にあうということ」という本を読んだので、読んだ後に考えたこととか感じたことを書いておく。
本を選ぶときに、自分が知らないことを知れる本だったり、体験したことない内容が書いてあるものが好きで、自分は性犯罪について全く知らないなあと思って手に取った。
すごくよかったと表現して良いのかわからないが、事件の内容やその後の人間関係、当事者の心情などが細かく記載されていて、性犯罪被害のことを知るにはわかりやすい本だと思った。

理解すること、理解されることの難しさ

筆者が体験した性犯罪被害について書いてある本なのだが、事件の詳細よりもその後の筆者の変化や周りとの関係性の変化について書かれている。

その中でも読んでいて常に感じたことが、他の人を理解することの難しさと、他の人に理解してもらうことの難しさだった。 性犯罪に関わらず、経験したことがないことに対して想像力を働かせることは大変な面もあるし、逆に経験したことあるからこそ、決めつけてしまうこともあると思う。 この本の中で、被害後の家族や友達とのやりとりを通じて、性犯罪の被害がその後の人間関係も全て変えてしまうこともあると感じた。

「目に見えないものは理解できない」と言っている友達の話が出てきた。正直その気持ちはすごくわかる。 ただ、理解できないという前提で考えてしまうと理解することは難しいだろうなとも思う。最近こういうことをよく考えてる気がする。 逆も然りで、周りは理解してくれないって考えてしまうと、自分のことを周りが理解するのが難しくなる。 その点同じような被害にあった人はもちろん被害者側の心情もわかるし、何より「理解してもらう」ということの価値を理解しているのだと思った。

周りが筆者のことを傷つけないように、腫れ物に触るかのようにコミュニケーションをとる中で、そうではない男友達がいたという話も出てきた。 確かに話の内容を見ると、そんなこと言うなよって言いたくなるような内容だった。 それでも彼が本気で理解しようとしてくれていたことが伝わったそう。

かける言葉よりも理解できると思うこと、理解したいと思うことが大事になることもあるんだと思った。 よくも悪くも、相手を理解することより先に、傷つけないようにしようと思うことはよくあると感じていた。 正解はないと思うけど、どうするべきかは今一度考えてみようと思った。

「 性犯罪被害にあうということ」を読んでみて

当たり前だけど、自分が知らないことは身近にもまだまだたくさんある。
歩いていたら車に連れ込まれて強姦されるってことが、正直漫画の世界の話のように感じていたし、読んでみてもそこは変わっていない。 変わっていはいないけど、知らないということが知れたのは良かったと思っている。

全然関係ないことかもしれないけど、少し前にこんな記事を読んだ。

武井氏は「職員に知識がない。そもそもDV措置要領に基づけば、収容ではなく原則仮放免にし、DVシェルターなどの専門施設で心身を保護し、ケアする必要があった」と話す。

www.tokyo-np.co.jp

全てに対して適切な知識を持つことは難しい。というよりも時間的に不可能なこと。 この本のように、何かの被害にあった人の話を読んだり聞いたりしていたら、知識がなくても想像力を働かせられたのではないかと思う。 自分の場合は何かを変えたくて発信してるわけではないけど、何か形にして残しておかないと考えてることってすぐに消えてしまうし、それが嫌だなと思って今回は書いた。